★当店の歴史

2020年06月20日

ウソみたいなホントの話

 コロナ禍で2月より始まった自粛生活。3月4月5月と来店客も激減、寝具業界の展示会も中止で動きもなく、僕もご多分に漏れず公私いろいろ整理を始めたのですが、貴重な写真が出てきました。

 多分50数年前。僕が小学校の4,5年生〜高校1年生の頃(1966年〜1970年)のものだろうと思います。

2020-06-20.1初夢神社

 V9時代のスター選手を吉祥寺の店に招いて、初夢神社なるものをつくり、サイン会や節分の豆まきイベントを催したようです。

2020-06-20.3名店会館


 僕は小学生なのに、大事な試合で勝利した日には、吉祥寺駅の売店まで行ってスポーツ新聞を買って読むほどの巨人ファンでしたが、リアルな選手に会うのが嫌だったのか恥ずかしかったのか、近くにいながら会場には行きませんでした。。 
 ノリの悪さ、イベント嫌いは当時からなのかもしれません。子供ながらにお客様である主婦層に野球というのがピンとこなかったことは覚えています。

 このほか、新宿コマ劇場を会社単独で借り切って「江利チエミショー」を開催し、お得意様を招待した時の写真も出てきました。チエミさんも吉祥寺店の近隣にお住まいで、母とはちょっとした交流があったようです。

 この会社、祖父がつくり、父と伯父たちで経営していたもの。その後、父は49年前に退社して関係は無くなるのですが、当時の寝具業界の力量というのはすごかったんだなと改めて感じます。

 古い手紙や写真って、つい見入ってしまいます。なかなか仕分け作業が進みません。



tommyhatsuyume at 19:01|Permalink

2020年01月20日

開店50周年

昭和45年(1970)年、大阪万博が開催された年の秋、トミー初夢は武蔵野市吉祥寺から多摩市聖蹟桜ヶ丘に開店した。
店名も「福島屋」から「トミー初夢」に変更した。
僕が15歳の時だ。
あれから50年になろうとしている。

ところで、年末年始と商店会の感謝祭セールや賀詞交歓会他、行政への申請書の提出、桜まつりの準備など本業以外にも忙しいのだが、何とか目途がついてきたので、今日は店ののれんを付け替え、心機一転、今年の10月を迎えれば50周年だ。
遅ればせながら頑張っていこうと思った次第・・・

暖簾2

まず、古いのれんを外し

新しいのれんに付け替える
暖簾1

2011年より9年間で、3枚目。
藍色の綿生地に、初夢のHをイメージした円の中に夢を入れるトミー初夢の象徴のロゴマークを縫い付けたものだ。
染めではない。
のれんというより陣幕のような恰好だが気に入っている。
店頭に布があると無機質でなく、風にゆれたり、営業やってる感もあってイイ。


作るのが大変なので、妻には敬遠されるのだが、なんだかんだで創作旗やのれんを6〜7枚は作ってもらっている。

ただしもう作ってもらえそうもないので、色あせた古いのれんを染色し、再生させようと思っているがうまくいくかな。






tommyhatsuyume at 18:05|Permalink

2012年05月17日

吉祥寺店

吉祥寺店

1946年4月。父富男が22歳の時、武蔵野市吉祥寺本町1-7-4に出店。現在吉祥寺通りと呼ばれているようですが、僕たちは公園道りと呼んでいた比較的大きな通りに面していました。屋号は「福島綿店」。綿や夜具地の販売や打ち直しの請負が主な仕事です。集配手段は自転車に板をくくりつけたものから、ホンダのバイク、そして三輪のミゼットへとめまぐるしく変わっていきました。画像-11

 私は1954年この地に生まれました。ここの2階で寝起きしていた記憶があります。

その後1960年、野村證券が出店するに伴い立ち退き、同じ通りの吉祥寺本町2-3-14に移転します。
扱い品目もわたから寝装品全般へと変わり、屋号も「福島屋」と変えました。私が小学校1〜2年の頃のことです。
 並幅の生地から広幅の綿サテン全盛時代となり、マットレス・ふとんカバー・合繊ふとんもよく売れたようです。
         



tommyhatsuyume at 23:13|Permalink

吉祥寺店

福島屋

 吉祥寺本町2-3-14の店舗です。昭和36年の春ごろと思います。僕は小学校2年より、中学3年までこの2階で暮らしました。感性の良い少年時代、思い出深いお店です。

 この前の道が公園通り、今は東急百貨店の道路に面した真ん中あたりです。商店街、井の頭公園、住宅地、この辺一帯は全て、僕らの遊び場でした。今でも、最高の友人がこの地にいます。

 近くの、成蹊学園の生徒にも、淡い憧れを持ったのを覚えています。僕は立教高等学校へと進み、吉祥寺から志木までは遠いので、寮(当時はあったのです)にお世話になることになり、僕は一人、生まれ育った吉祥寺を離れました。

 当時の公園通り商店会名簿です。(現在吉祥寺通りと呼ばれている道は間違いなく公園通りだったことがわかります。)父は副会長を務めていました。ちょうど昭和45年、この地を去る時のものです。

吉祥寺公園通り商店会名簿



 ここも、東急百貨店が出店することなり、そして父が決めた新天地は聖蹟桜ヶ丘でした。

 



tommyhatsuyume at 17:54|Permalink

2012年05月16日

聖蹟桜ヶ丘に開店

 画像-191970年(昭和45年)父は聖蹟桜ヶ丘に出店しました。私が高校1年のときです。屋号について家族会議らしきものがあって、「福島屋」か「トミー初夢」かの二者択一だったのですが、新しい若い街には後者がふさわしいのではないかと決定したのです。

 幸いにも、翌1971年は60年に一度の紫ふとんブームが訪れ、店の運営は軌道に乗り、父はこの土地で商売をしていく自信と勇気を得たようです。

画像-12







 私は立教大学社会学部を卒業後、螢錺魁璽襪貌社、4年間京都本社勤務を経験し、1981年(昭和56年)家業として,この店を継ぐ為この地へ戻ってきました。

 この頃は,木綿わた全盛時代。「良いわたを、良い仕立てで作った良いふとんを販売する」。それが信用であり、新わたも打ち直しも大変忙しく、働けば働くほど結果が伴う、考え方もシンプルで良かった時代が4〜5年ありました。

 1985年(昭和60年)頃になると羽毛ふとん、羊毛ふとん、ムアツふとんカバーリングなど、新しい高機能商品も広く取り扱うようになり、寝具専門店として当店の考え方も「睡眠と寝具のプロとなり、良い寝具を通して、地域のお客様に快適な睡眠を提案する」。 と変化してきました。

 店作りが時代に合わず、大改装を1988年(昭和63年)に行うこととなります。 

tommyhatsuyume at 20:21|Permalink

2012年05月15日

大改装後の店

 1988年(昭和63年)店の内装・外装の大改装を行いました。

高機能寝具やカバーリングのご提案が可能となり、さらにお試し用ベッドを設置することによって、マクラや、体圧分散敷ふとん等のお試しができるようになりました。

 木綿ふとんの他に、羽毛ふとん・羊毛ふとん・ムアツふとん・高機能合繊ふとんなどのご提案が無理なくできるようになり、自分の描いていた寝具専門店に一歩近づきました。

 「新しいものは慎重に、古くからのものは大切に」を心がけながら、新製品をよくよく研究し、専門店として取り入れなければならないものは、幅広く品揃えして、お客様のご要望に答えなければならないと頑張った時期です。
画像-23

画像-20








tommyhatsuyume at 10:23|Permalink

2012年05月14日

現在の店

店頭写真暖簾付

001

現在の店舗です。2011年10月1日に正式オープンしました。
安全な店づくりと、駐車スペースを設けたのが大きな特徴です。
ここから「寝ることの大事」さを発信していきます。


tommyhatsuyume at 17:48|Permalink
■店舗案内■

本物のふとんだけを
    取り扱っていきたい。
睡眠は健康の源です。
眠りを大切にして下さるお客様の為、当店は素材と寝心地にこだわり、睡眠や寝具の勉強を怠らず、一人一人のお客様に最適なおふとんをお届けします。

店主 福島康雄
詳しくは【業務案内】へ!



営業時間:10時〜19時
定休日:水曜日
住所:〒206-0003
    多摩市東寺方1-8-39
TEL:042-374-4567
FAX:042-374-4567
■ギャラリー■
  • 2020年 「寝るが一番」春夏キャンペーン
  • 2020年 「寝るが一番」春夏キャンペーン
  • ウソみたいなホントの話
  • ウソみたいなホントの話
  • 営業時間を短縮します。
  • 子供たちのパンフレット